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東京地方裁判所 昭和24年(ヨ)3558号 判決

主文

被申請人は公共企業体仲裁委員会が申請人と被申請人とのあいだの「賃金ベースの改定及び年末賞与金の支給その他に関する紛争」に付き昭和二十四年十二月二日なした裁定に従わなければならない。

申請人のその余の申請はこれを却下する。

訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

第一、申立の趣旨

申請人代理人は主文第一項と同旨並びに「被申請人は、申請人代表者加藤閲男に対し、主文第一項記載の裁定の第二項に記載せられた職員の賃金のうち、昭和二十四年十二月中に支払われた金十五億五百万円を除き、その残額を、各所定の時期までに交付しなければならない。

申請人代表者加藤閲男は、交付を受けた職員の賃金を、右裁定に示された手続に従つて、領収証と引換えに職員に支払い、領収証を被申請人に交付しなければならない。」との判決を求め、被申請人代理人は、「申請人の本件仮処分申請は、之を却下する。」との判決を求めた。

第二、申請の理由

申請人代理人は本件仮処分申請の理由として、次のとおり陳述した。

一、被申請人は日本国有鉄道法によつて設立せられた公法人(公社)であつて、公共企業体労働関係法にいう公共企業体であり、申請人は、被申請人公社の職員を以て組織せられた法人格を有する労働組合である。

二、而して、申請人組合と被申請人公社とのあいだの労働関係に付いては、公共企業体労働関係法が、同法に規定がない事項に付いては、労働組合法が、それぞれ適用せられ、国家公務員法の適用がないのであるから、そのあいだの労働条件に関する訴は、民事訴訟であつて、行政事件訴訟ではないから、その訴につき、仮処分の申請が許容せられている。

三、ところで、申請人組合と被申請人公社とは賃金その他雇用の基礎的条件に関する成文の労働協約を締結するため、毎年少くとも一回団体交渉を為すべき義務があるのであるが、昭和二十四年度の団体交渉においては

(1)賃金ベースの改訂

(2)年末賞与金の支給

の二点に付き、協定が成立しなかつたので、申請人組合は昭和二十四年九月十四日国有鉄道中央調停委員会に対して調停の申請をなし、右調停委員会の提示した調停案を受諾したが被申請人公社においてこれを拒否したため、調停は不調に終つた、そこで申請人組合は、更に同年十月二十八日公共企業体労働関係法第三十四条第二号に基づいて、右二項目に付き、公共企業体仲裁委員会に対して仲裁の申請をなしたところ、同年十二月二日、右仲裁委員会は、右条項に関し、次のような裁定をなした。

「一、賃金ベースの改訂はさしあたり行わないが、少くとも経理上の都合により職員の受けた待遇の切下げは是正されなければならない。

二、前項の主旨により本年度に於ては、公社は総額四十五億円を支払うものとする。

右の中三十億円は十二月中に支給し、一月以降は賃金ベース改定のあるまで、毎月五億円を支給する。

右の配分方法は両当事者に於て十二月中に協議決定するものとする。

三、組合の要求する年末賞与金は認められないが、公社の企業体たる精神に鑑み、新たに業績による賞与金制度を設け予算以上の収入又は節約が行われ、それが職員の能率の増進によると認められる場合には、その額の相当部分を職員に賞与として支給しなければならない。

四、本裁定の解釈又はその実施に関し当事者間に意見の一致を見ない時は本委員の指示によつて決定するものとする。」

四、しかるに右裁定は、次に述べるように、被申請人公社の「予算上又は資金上不可能な資金の支出」を内容とする部分を、含むものではない。

(一)公共企業体労働関係法第十六条にいう「不可能」とは国会の所定の行為がなされなければ支出が不可能なことであつて、行政措置によつて支出が可能である場合は、これに該当しない。

(二)従つて、資金の支出が可能な場合とは、

(1)予算において、予算の流用または予備費の使用をすることなく支出し得る場合は予算上可能である。

(2)予算において、予算の流用または予備費の使用をしなければ裁定を履行し得ないが、日本国有鉄道法第三十六条、財政法第三十三条第三項により、被申請人公社総裁において経費の金額を流用し得、これによつて履行し得るときは、同総裁は、これを流用する義務を負い、その資金の支出は予算可能である。

(3)また日本国有鉄道法第三十六条、財政法第三十三条第二項、予算決算及び会計令第十七条により大蔵大臣の承認がなければ予算の経費の金額を流用し得ないが、その流用によつて裁定の履行が可能となるときは、大蔵大臣は公共企業体労働関係法第一条第二項にいう「この法律で定める手続に関与する関係者」の一人として、その流用を承認する義務を負い、その資金の支出は予算上可能である。

(三)(1)被申請人公社が、法律に基いて直接負担する債務に付いては法律により直接に、または法律に基いて、自然に発生しその発生を抑止し得ないのであるから、これを消滅せしめるための支出も義務的である、従つて、その支出は一応の見込額として歳出予算に組まれてあるべきであり、また、予算不足に付いては、次の予算に組んで、これを支出しなければならない。

(2)前記裁定は昭和二十三年政令第二〇一号の規定にもかかわらず被申請人公社の経理上のつごうにより、職員が不当にこうむつた待遇の切下げを是正したものである。従つて裁定の債務は、法律に基づいて自然に発生したものであるから、その債務を消滅させるための支出はたとい予算に計上せられていなくとも、これを支出しなければならず(この意味で予算上資金上その支出が可能であるといい得る)少くともこれを追加予算に組むべき義務が存するのである。

五、仮に右裁定が不可能な資金の支出を含むとしても、裁定の一部である十八億円は、石炭費の節約、修繕工事の繰延べなどにより既定予算における経費の金額を流用すれば、その支出が可能であるから被申請人公社が昭和二十四年十二月その職員に支給した十五億五百万円を差引き、残額二億九千五百万円は即時これを申請人組合に交付しなければならない。

六、更に、右裁定が可能な資金の支出を含まないとしても、被申請人公社は、申請人組合に対して右支出済の十五億五百万円を控除した残額二十九億九千五百万円を交付すべき債務を負担し、この債務は被申請人公社が、その予算上または資金上、資金の支出が可能となりしだい支払わなければならないものである。すなわち、

(一)仲裁委員会の裁定は、それが書面に作成せられたとき、その効力を生じ、当事者を拘束するのであつて、被申請人公社の申請人組合に対する裁定上の債務は、これによつて確定し、残るのは、その履行上の問題だけである。

(二)しかも、裁定上の債務が、金銭債務である場合においては被申請人公社は不可抗力を以て抗弁となすことはできない。

(三)そこで、公共企業体労働関係法第十六条第一項の趣旨は可能な資金の支出を内容とする協定は被申請人公社と政府とを拘束するか、不可能な資金の支出を内容とする協定は、被申請人公社のみを拘束し政府を拘束しない、と解すべきである。

予算は、国会が内閣に対して財政権を附与するものであつて、内閣の支出し得る金額の限度を定めたものに過ぎず国民の権利義務及び国民に対する拘束力を有するものではない。支出の前提をなす国の債務負担は、法令または契約等によるのであつて、歳出予算それ自体に支出の基礎があるわけではない、従つて、既に有効に成立した協定または裁定が歳出予算の有無や予算案の通過の有無等によつて効力を存続したり、消滅したりすることはあり得ない。

(四)そこで、右第十六条第二項末段の規定は、協定の効力発生要件として考えることは不可能であつて、同条第一項の「国会によつて所定の行為がなされるまではそのような協定に基いていかなる資金といえども支出してはならない。」との被申請人公社の会計上の抗弁権が消滅して、支出可能となる事実を指したものと解するのが妥当である。

(五)従つて、被申請人公社の負担した前記二十九億九千五百万円の裁定上の債務は、国会の承認がなかつた後においても存続し被申請人公社は、予算上または資金上資金の支出が可能となりしだい、これを履行しなければならないのである。

七、しかるに、被申請人公社は、政府が裁定中十五億五百万円だけを支出可能と指示し、国会がその余の裁定部分に対して承認の議決をしないことを理由として、右十五億五百万円を除く爾余の裁定部分は失効し、被申請人の義務は消滅したと主張して、その効力を否認している。

八、よつて申請人組合は、被申請人公社に対して裁定の効力確認並びに、裁定による賃金請求の訴を提起するわけであるが、このままの状態で、被申請人公社が本件裁定を無視するにまかせておけば、職員が安んじて職務に従事するうえに耐えることのできない障害となり、且つ、今後の団体交渉が円滑に行われることを期待し得ず、合法闘争をあきらめるものが続出し、被申請人公社の業務の正常な運営を阻害するおそれがあり、さらに前記のような待遇の切下げにより職員の生活は窮乏におちいつているので、かかる急迫した事態を避けるべく仮の地位を定める仮処分として申請人組合をして、本件裁定が被申請人公社によつて遵守せられ、履行せられたと同様の状態に置くため、本件申請に及んだ次第である。

九、申請人組合の当事者適格に付き

(一)労働組合は、労働者が主体となつて、自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体であるから、もし使用者が労働者に対して支払うべき賃金を任意に履行しないような場合においては、その労働者の属する労働組合は、団体行為によつて、すなわち組合としての資格で、使用者に対して未払賃金の支払を求めることができる。

(二)労働基準法第二十四条は、賃金直接払の原則を規定しているが、それは、個人としての労働者を保護する強行法規ではあつても労働者が自主的に労働組合を結成してなす団体活動を一応捨象して規定したものであるから、右法条を理由に、労働者の団体活動を制限し得るものではない。

(三)加うるに本件申請は、被申請人公社が申請人組合に対して負担する仲裁裁定上の義務(実行義務)の履行をも求めるものであるから、組合の資格で訴求し得るは当然である。

(四)もつとも、申請人は、本件仮処分において非組合員を含めた全職員に対する裁定の履行を求めるものであるが

(1)労働組合法によれば、労働協約を締結する資格は、労働組合のみに認められるのであるから、被申請人公社の職員中申請人組合のみが、当事者たり得るのであつて、従つて、労働協約に代わる裁定を受ける資格は、申請人組合のみがこれを有するわけである。而して申請人組合が被申請人公社とのあいだに非組合員たる職員に関し何等かの取極めをなしたときは、第三者約款として要約者から諾約者に対して、その第三者に履行すべきことを請求し得るのは、いうまでもなく、このことは、仲裁裁定の場合も同様である。

本件裁定が非組合員に給付すべき部分を含んでいるのは第三者約款を含むことに他ならないから申請人組合は、要約者として、諾約者たる被申請人公社に対して、本件裁定の履行を求めるものである。

(2)仮に、非組合員に対する義務の履行を求めることが不適法であるとするならば、申請人は、その組合員に対する義務の履行のみを求めるものである。

十、なお本件裁定に付き、衆議院及び参議院において、被申請人主張の日その主張のような議決のなされたこと(第三答弁、三(二)(3)はこれを認める。

と述べた。

第三  答弁

被申請人代理人は答弁として次のとおり陳述した。

一、本件仮処分の申請は公法上の権利関係に関するものであるから許されない。

本件公共企業体仲裁委員会の「賃金ベースの改定及び年末賞与金の支給その他に関する紛争」に関する裁定の内容は日本国有鉄道とその職員との間の関係を定めたものであり、日本国有鉄道とその職員との関係は公法上の関係で私法の適用を受けないから民事訴訟法の規定による本件仮処分申請は許されない。すなわち、

(一)被申請人日本国有鉄道は日本国有鉄道法各条の規定と公共企業体労働関係法第一条の規定によつて明らかのように、その資本は全額政府の出資に基礎を置き、而もその使命とするところは国家経済の健全な発達と、公共の福祉の増進と、その擁護という国家目的にあつて、一般私企業がその基礎を私的資本に置き専ら営利を図ることを主眼としているのとはその性質を異にしていて実質的にもその性格は行政法上のいわゆる公共団体(公法人)であることは明らかで日本国有鉄道法第二条は、この日本国有鉄道の性格を実定法上宣明し公法上の法人とすることを明定している。而して憲法第十五条にいう公務員とは、国家又は公共団体の職務を担当するものをいい、このうち国家の職務を担当するものを国家公務員、地方公共団体の職務を担当するものを地方公務員、その他の公共団体の職務を担当するものをその他の公務員と解すべきであつて、すべて公務員は全体の奉仕者として国家又は公共団体を組成する人々の幸福のために、その人々のために労務を提供する義務を負うのが公務員の特質で、この公務員の性格はその者の身分関係が国家にあると公共団体にあるとによつて変りはなく等しく憲法第十五条にいうところの公務員である。而して公務員のこの全体の奉仕者である特質より生ずる公務員に対する各種の法律上の規整から国家又は公共団体とその職員との関係が公法上の関係であるといわれている。以上のような見解に立脚して日本国有鉄道法中の職員に関する規定を通覧して、その法律関係を吟味してみると職員の任命は能力の実証に基いて行わるべきこと(第二十七条)一定の事由あるときは懲戒の処分を受くべきこと(第三十一条)職員は職務の遂行に当つては法令業務規定を誠実に遵守するの外その全力を挙げて業務に専念しなければならないこと(第三十二条)等が規定せられ、国家公務員に対する身分、服務に関する国家公務員法とほぼ同様の規定である。ただ日本国有鉄道法に日本国有鉄道の職員が全体の奉仕者として勤務すべき旨の規定の存しないのは前述のように日本国有鉄道が公共の福祉の増進をその存立の目的としている以上、その職務を担当する職員も当然公共の福祉の増進換言すれば国民全体の奉仕者として勤務すべき義務があることは敢て明文を必要とする理由がないからである。以上の各規定の形式及びその実質を洞察すれば職員と日本国有鉄道との関係は一般民法上の契約理論に基く対当当事者間の私法的雇傭関係であるとは到底解釈することができない。もしかくの如き解釈を容れるとすれば例えば第二十九条第三十条等の如きは使用者たる日本国有鉄道が雇傭関係の一部的解除権を行使する場合等に関する民法に対する特別規定であるといわなければならない。然し前述のような日本国有鉄道とその職員の法的性格に鑑み又その規定の表現形式等よりみて、このような解釈はあまりにも実体に則しない謬見であるといわなければならない。すなわち日本国有鉄道と職員との関係は公共団体の組織に関する法律関係であつて、いわゆる特別権力関係すなわち公法関係たる性質を有するものと解すべきである。

(二)従つて日本国有鉄道とその職員との労働条件に関する事項は公法上の関係であり、殊に職員が日本国有鉄道より支給を受ける給与は公法上の権利であつて私法上の権利ではない。ところが申請人の本件仮処分の申請は、まさに公共企業体仲裁委員会の裁定のこの日本国有鉄道と職員との公法上の関係に関するものであることは明らかである。

而して、公法上の権利関係に関する争いについては、法律上特段の定めのない限り私法上の権利関係に関する民事訴訟法の規定は適用されないと解すべきであるから本件仮処分申請は許されないというべきである。

二、右の主張が理由がないとするも、申請人の主張する「仲裁裁定第二項に示された職員の賃金(既に支給した十五億五百万円を除く)の交付を請求する」旨の請求権については申請人は本案訴訟において当事者となる適格を有しないからこれを本訴とする本件仮処分申請は許されない。本件公共企業体仲裁委員会の仲裁裁定書第一、二項は

「一、賃金ベースの改訂はさしあたり行わないが、少くとも経理上の都合により職員が受けた待遇の切下げは是正されなければならない。

二、前項の趣旨により本年度に於ては、公社は総額四十五億円を支払うものとする。

右の中三十億円は十二月中に支給し一月以降は賃金ベース改訂のあるまで毎月五億円を支給する。

右の配分方法は両当事者に於て十二月中に協議決定するものとする」

というにあつて右金員は申請人組合と被申請人日本国有鉄道とで協議配分の上被申請人の職員に直接支給し申請人組合に支給乃至交付すべき趣旨でないことは明らかである。従つて本件仮処分において申請人が主張する右金員(既に支払われた分を除く)の交付を求める本案訴訟の請求権なるものは日本国有鉄道(もつともその大部分の者が申請人組合所属の組合員であるが非組合員もいることは明らかの事実である)の個人に属する権利といわなければならない。

しかもこの権利は次に述べる如く発生していない権利であるが仮に申請人主張のように発生したとしても実定法上申請人組合においてこの権利を処分する権能を認めた規定はないから申請人労働組合はこの権利を訴訟において追行する適格を有しないというほかはない。

殊に申請人が被申請人よりその主張の金員の交付を受けこれを被申請人の職員に支給するという主張は仲裁裁定書第二項の具体的な配分は当事者の協議決定によるという事項や、同第四項の協議が纒らないときは仲裁委員会の指示によつて決定するという事項に反するばかりでなく労働基準法第二十四条の賃金の直接支払の強行規定にも反する主張であるといわなければならない。

申請人は被組合員に対する分の裁定は第三者約款である趣旨の主張をなし、申請人がその第三者に当る非組合員の分までも被申請人に対して請求することができると主張してゐるが、本件仲裁裁定が第三者約款的性格のものでないことは、右に述べたことによつて明らかであるばかりでなく、第三者約款においても要約者が債務者たる諾約者に対して第三者に債務を履行すべき旨を請求する権利があることは認められるが自己に対して履行すべき旨の権利があることは認められないと解すべきであるからこの点に関する申請人の主張も失当である。

以上何れの点よりするも申請人は本件仮処分申請事件において被申請人の職員に属する権利について保全の請求をする適格はなく、この点に関する本件仮処分申請はその理由がないといわなければならない。

三、以上の主張が理由がないとするも、本件において申請人が主張する仲裁裁定の金額(既に支給した分を除く)の債務はその効力を発生していないから、これを理由とする本件仮処分申請は失当である。

(一)申請人主張の事実中被申請人が申請人主張のような公社、公共企業体であること、申請人組合が、その主張のような労働組合であること申請人組合と被申請人公社とのあいだに申請人主張のような団体交渉をなすべき義務があること、昭和二十四年度の団体交渉において、(1)賃金ベースの改定、(2)年末賞与金の支給の二点につき協定が成立せず、申請人主張のような経過をへて、昭和二十四年十二月二日申請人主張のような仲裁の裁定がなされたことはこれを認める。

(二)しかしながら右裁定第二項記載の金額四十五億円中被申請人がその職員に対して同年十二月末支給した総額十五億五百万円を除くその余の部分は被申請人に対しては予算上資金上支出不可能を内容とするもので而もこの部分に関しては、国会の承認がなかつたから公共企業体労働関係法第三十五条第十六条により右部分の裁定はその効力を発生せず、従つて当事者間においては、当初より債権債務は発生していない。すなわち

(1)日本国有鉄道の財政上の処分能力

公共企業体労働関係法が仲裁裁定の効力につき労働関係調整法第三十四条を準用せず特に公共企業体労働関係法第三十五条但書第十六条の規定を設けた理由は公共企業体が前述のとおり私企業がその基礎を私的資本に置いて専ら営利を図ることを主眼としているのと異なり、その資本は政府の全額出資に基礎を置き(このことは換言すれば公共企業体の資産は国民より受託されたものでもあるともいえる)而もその使命とするところは、国家経済の健全な発達と公共の福祉の増進とその擁護とを目的としている性格よりその財政上の能力を制限したためである。この公共企業体の性格より日本国有鉄道法は日本国有鉄道の財政の運用いかんは国家全般の財政と国民の生活に直接に関係があるとの理由よりその予算は国民の代表である国会の議決を要しなければならないとし、又予算関係の運用に関しては、日本国有鉄道を国の行政機関とみなして財政法会計法等の規律に服さしめている(日本国有鉄道法第三十六条以下)。このことは、公共企業体は右法律の定める規定の範囲内においてのみ、予算上資金上の処分能力を有しているということである。従つて公共企業体仲裁委員会の裁定中この公共企業体の財政上の処分能力のない裁定がなされた場合にこれを如何に取扱うべきかについて特に公共企業体労働関係法第三十五条但書第十六条を設けて労働関係調整法とその取扱を異にしたのである。

(2)予算上又は資金上不可能な資金の支出の意義

そこで公共企業体労働関係法第十六条第一項にいう予算又は資金上不可能な支出とは何をいうかというに、公共企業体が国会の議決を経た予算の範囲内において、しかも予算の移用又は流用をしないで職員の給与に充当する資金の余裕ある場合は公共企業体に対しては予算上又は資金上可能である、といえるが然らざる場合は一応予算上資金上不可能な支出というべきである。そこで問題となるのは予算の範囲内ではあるが、公共企業体が財政法第三十三条予算総則(昭和二十四年においては第九条)予算決算及び会計令第十七条第十八条の二、支出負担行為計画認証等取扱規則第三条第六条等の規定による予算の移用又は流用について大蔵大臣の承認を経なければ支出できない予算について、これを予算上又は資金上支出不可能というかについては問題がある。公共企業体が予算の移用又は流用について大蔵大臣にその承認を申請し、それがそのまま承認になつた場合これが予算上資金上可能であることについては疑がないが公共企業体が承認を申請した額と大蔵大臣の承認した額とについて相違のある場合、すなわち大蔵大臣が流用可能とみて承認を申請した額を査定して承認した場合においては法律上は公共企業体としては、その承認の額の限度においてのみ予算上資金上支出可能であると解すべきが正当で、公共企業体が申請した額を支出可能と見る説は失当といわなければならない。もしもそうでないとして、この大蔵大臣の承認をした額を超えて申請した額まで支出可能で公社企業体に債務があるとして、その支出を公共企業体に強いることは法律上不可能のことを強いることでその不当であることは明らかである。

この場合申請人は大蔵大臣は公共企業体が承認を申請した額をそのまま承認しなければならないと主張するが、この主張は前記財政会計の法規を離れての議論であるばかりでなく公共企業体労働関係法第一条第二項の規定の趣旨からしてもこの規定を右主張の根拠となすには法律上失当である。

そこでこれを本件の仲裁委員会の四十五億円の支出に関する裁定について考えてみると、日本国有鉄道総裁は昭和二十四年十二月十日経一主第一三七号を以て運輸大臣と大蔵大臣に対し

「十二月二日公共企業体仲裁委員会の裁定の指示する四十五億円のうちその一部である十八億円については石炭費の節約修繕工事の繰り延べ等により公布予算内において費目の流用により支出可能の見とおしがついた」

としてその承認を申請したところ大蔵大臣は同月十八日十五億五百万円が支出可能であるとしてその旨の承認をした。従つて右金四十五億円の裁定は日本国有鉄道に対しては、その内十五億五百万円が予算上支出可能な資金であつて、その余の金額は予算上資金上支出不可能な資金すなわち日本国有鉄道としては法律上処分能力のない支出といわなければならない。

(3)予算上支出不可能である部分の仲裁裁定はその効力を発生していない。公共企業体労働関係法第三十五条但書第十六条第二項は仲裁委員会の裁定にして予算上又は資金上不可能な資金の支出を内容とするものは国会の承認があつたときは、この裁定はそれに記載された日附にさかのぼつて効力を発生するものと規定しているから承認があるまでは当事者間において効力が発生しないと解せざるを得ない。そこで本件について国会の承認があつたかどうかについて考えてみるに、政府は最初衆議院に対し十二月十二日国会の議決を求める件として、単に裁定そのものを国会に上程したが、その後これを訂正して同月十九日「公共企業体仲裁委員会の別紙裁定中十五億五百万円以内の支出は予算上資金上可能であると認められるのでこの限度において右裁定を実施し残余は公共企業体労働関係法第十六条第一項に該当するので同条第二項の規定により国会に附議する必要がある」としてその議決を求めた。

衆議院はこれに対して十二月二十一日「公共企業体仲裁委員会の裁定中十五億五百万円の支出を除き残余については承認しないと議決してこれを参議院に送付したが参議院はこれに対し十二月二十三日「十五億五百万円以内の支出を除き残金は昭和二十五年一月一日以降日本国有鉄道の予算上資金上及び独立採算上支出可能となつた時、速にこれを支給すべきもの」と議決してこれを衆議院に回付した。

衆議院は翌二十四日この参議院回付案を本会議において否決して、更に本件について両院協議会を求めることも否決した。而して公共企業体労働関係法第十六条第二項にいう国会の承認とは両院で構成する国会の承認であるから、両議院の意思の合致を必要とし、一院が不承認の議決をしたときは、他の一院で承認の議決をしても国会の承認としては成立し得ないから本件については国会の承認はなかつたことになる。

従つて、本件裁定中申請人が請求する四十五億円より支出可能で既に職員に支給した十五億五百万円を引いたその余の残額二十九億九千五百万円についての裁定は効力を発生しないというべきであるから、被申請人に対しても、その債務は発生していないと解すべきが正当であつて、これに反する申請人の主張は到底成り立ち得ないものであるという外はない。

従つて本件仮処分の申請は保全せられるべき権利関係が存在しないから失当であるといわなければならない。

四、以上何れも理由がないとするも本件仮処分申請において申請人が主張する金員の給付を求める請求権は未だ確定していないからこれに対する本案訴訟の提訴は許されない、従つてこれを本訴とする本件仮処分申請は失当である。

本件仮処分申請において申請人が主張する四十五億円(既に支給した分を除く)の仲裁裁定はその裁定書記載によつて明らかの如く、右金員の具体的配分は当事者の協定が成立するか又はこれに代るべき仲裁委員会の指示があるまでは決定しないことになつている。ところが右配分方法の協定の成立又はこれに代るべき仲裁委員会の指示は今日まで未だなされていないことは明らかであるから、申請人が本案訴訟において請求するところの債権は未だ確定していないといわなければならない。従つてこれに対する本案訴訟の提起は許されないからこれを本訴とする本件仮処分申請は失当である。

以上何れの理由によるも申請人の本件仮処分申請は失当として排斥を免れないものである、と述べた。

第四、証拠(省略)

理由

第一、申請人組合と被申請人公社のあいだの労働関係を目的物とする訴訟に付いて仮処分に関する民事訴訟法の規定が適用せられるか否かが争われているが、この問題を解決するためにも、さらに仮処分に関する規定が適用せられるとして、仲裁委員会の仲裁裁定の本質及び効力を理解するうえにも、被申請人公社の性格を明らかにすることは、極めて重要な意義があるからまずこの問題について考察する。

第二、日本国有鉄道の性格、

一般に公共企業体は、社会的公共性の顕著な企業について企業経営の合理化、能率化を図ると同時に、企業に賦課せられた公共的使命を実現し、且つ、社会経済の観点から求められる綜合的計画性の要請をみたすために、資本と経営とを分離し企業の所有と支配とを公共社会に移すとともに、企業に経営の自主性を認め、よつて企業の私的経済的活動と公共社会の経済管理とを媒介せんとする経済的自治の制度である。ということができる。いま、被申請人公社について考察すると、

(一)被申請人公社の資本金は政府の全額出資とせられ、(日本国有鉄道法第五条)(公共的所有)

(二)被申請人公社の公共的所有者たる国民社会を代表する国会はその機構の設定、変更、予算の制定(同法第三十六条以下)を通じて、終局的にこれを支配するのであるが、その終局的支配と経営とのあいだに立つて、政府(内閣又は監督大臣)は監理委員、役員の任免(同法第十二条、第十四条、第二十条、第二十二条)財政に対する監督、関与(同法第三十六条以下)業務の監督、管理(同法第五十二―五十四条)の方法により被申請人公社の経営を支配するとともに、その支配権の行使に付き、国会に対して、その責に任ずる。(憲法第六十六条)(公共的支配)

(三)これに対し被申請人公社の経営に付ては、その自主性が認められるのである。

(1)被申請人公社の業務の運営は、監理委員会の指導統制のもとに、(日本国有鉄道法第十条)総裁その他の指揮、管理に基いて(同法第十九条以下)行われ、(行政上の自主性)

(2)その従業員については国家公務員法の適用がなく(同法第七条)独自の人事管理が認められ、(同法第二十六条以下)団体交渉による労働関係の自主的規律が確立せられている。(公共企業体労働関係法第八条以下)(人事上の自主性)

(3)その会計、経理については或る程度の独立採算制を採り入れる仕組になつているがその財政は、国家予算とともに(昭和二十四年法律第二六二号をもつて改正せられた、法律によれば国家予算に準じて)国会の議決を経なければならないので、財政上の自主性は、重大な制約を受ける。以上が被申請人公社の重要な特性である。

第三、仮処分の適否

被申請人公社とその職員たる申請人組合の組合員とのあいだの労働関係、特に給与請求権が公法上のものなりや否やに付いて判断する。

被申請人公社とその職員とのあいだの労働関係は、前項に述べたように、自主性を認められた経営内部の法律関係を組成するものであり、その労働条件の決定は財政上の制約があるとはいえ当事者の団体的自治に委ねられているのである。もとより、被申請人公社のいとなむ事業の公共性は、その経営の組織、機構に、私企業とは異つた構造を与えていることはいうまでもないが、(たとえば経営参加の排除、争議の禁止など)そこを規律する原理は、全体の統一的秩序を維持するための統制的な権力の原理ではなく、対立当事者の私的自治(私経済的な自由、平等の原理)を承認しつつ、これを経営の公共的使命に適合するよう秩序付ける組織の原理である、ということができるであろう。このように理解するならば右の労働関係を公法上の権利関係とするのは、妥当ではなく従つて、これを目的物とする訴訟を行政事件訴訟として仮処分に関する民事訴訟法の規定の適用がない、とすることはできない。(なお当庁昭和二十四年(ヨ)第一五九〇号事件判決(昭和二十四年八月八日言渡)参照)

第四、申請人組合の当事者適格

申請人の主張によれば、申請人組合は被申請人とのあいだの労働紛争につき、昭和二十四年十二月二日公共企業体仲裁委員会がなした裁定、特に、「公社は総額四十五億円を支払うものとする。……右の配分方法は両当事者間に於て十二月中に協議決定するものとする。」との条項の履行を求めるというのであるが右条項は、

(一)被申請人公社が、その職員個人に対して、申請人組合との協議の結果決定せられる個別的な賃金を支払うべき具体的な義務。(規範的効力による義務)

(二)被申請人公社の、申請人組合に対する右(一)の義務を履行すべき義務。(いわゆる実行義務)とを発生せしめるから、その当事者適格も、そのいずれの義務の履行を求めるかによつて決定せられなければならない。まず実行義務は、被申請人公社が申請人組合に対して負担するものであるから、右条項に基づいて具体的な賃金請求権を取得するものが何人たるを問わずその履行を請求し得ることは、いうまでもない。従つて実行義務の履行を前提とする部分に付いては、申請人に当事者適格がある。次に規範的効力による具体的な義務の履行を求め得るものは、その債権者たる個々の職員である。従つてその職員が申請人組合の組合員であるならば、申請人組合はそのもののために被申請人公社に対し、その賃金請求権を行使することができると解すべきである。けだし、組合員は、団体的自治によつて具体的な自由を獲得するためその個別的意思を団体的意思の統制のもとにおき、労働組合の団体的組織を媒介として、その労働条件の維持改善を図ろうとするものであつて、その反面に於いて労働組合は、組合員の意思に対して、実質的な統制力をもち、それゆえ、組合員の権利につき、これを保障するために管理または処分の権能を有するといい得るからである。(なお当庁昭和二十四年(ヨ)第二一八五号事件決定〔昭和二十四年十月二十六日言渡〕参照)従つてかかる団体的統制の存しない職員(非組合員)の権利に付いては、特別の授権のない限り、申請人組合に於て、管理又は処分の権限を有せず、その賃金債権の履行を求める訴に付いては当事者適格を有しないというべきである。

なお本件裁定が非組合員たる職員に対し、賃金債権を取得せしめる趣旨(申請人の主張する第三者約款)であるとしても、これにより申請人組合が、非組合員のために、その賃金債権を行使し得る権限を取得するということはできない。

ところで実行義務は、前記のように抽象的な義務であり、これに基づいて具体的に賃金の支払を求めることは不可能であるから、申請人が本件仮処分によつて具体的な金員の交付を求める部分(ただし、申請人の主張するような仮処分が許されるか否かは疑問があるが裁判所は申立の趣旨にそつて、任意の処分を命じ得るのであるから、被保全請求権が一応認められた後に、仮処分の必要と関連せしめて、その当否を判断すればよい。)は、規範的効力による義務の履行を求めると解すべく、従つて非組合員のために、本件仮処分を求める部分は、爾余の判断をまつまでもなく、失当であるといわなければならない。

第五、仲裁委員会の裁定の成立及び内容

被申請人が、日本国有鉄道法によつて設立せられた公法人(公社)であつて、公共企業体労働関係法にいう公共企業体であり、申請人が、被申請人公社の職員を以て組織せられた法人格を有する労働組合であること、申請人組合と被申請人公社とが、賃金その他雇用の基礎的条件に関する成文の労働協約を締結するため、毎年少くとも一回団体交渉をなすべき義務のあること、昭和二十四年度の団体交渉においては、

(1)賃金ベースの改善

(2)年末賞与金の支給

の二点に付き、協定が成立しなかつたので、申請人組合は、昭和二十四年九月十四日国有鉄道中央調停委員会に対して、調停の申請をなし、右調停委員会の提示した調停案を受諾したが被申請人公社においてこれを拒否したため、調停が不成立に終つたこと、ついで申請人組合が同年十月二十八日公共企業体労働関係法第三十四条第二号に基づいて右二項目に付き公共企業体仲裁委員会に対して仲裁の申請をなしたところ同年十月二日右仲裁委員会が、右条項に関し、

「一、賃金ベースの訂正はさしあたり行はないが、少くとも経理上の都合により職員がうけた待遇の切下げは是正されなければならない。

二、前項の主旨により本年度に於ては、公社は総額四十五億円を支払うものとする。右の中、三十億円は十二月中に支給し、一月以降は賃金ベースの改定のあるまで毎月五億円を支給する。右の配分方法は両当事者に於て十二月中に協議決定するものとする。

三、組合の要求する年末賞与金は認められないが、公社の企業体たる精神に鑑み、新たに業績による賞与制度を設け、予算以上の収入又は節約が行われ、それが職員の能率の増進によると認められた場合には、その額の相当部分を賞与として支給しなければならない。

四、本裁定の解釈又はその実施に関し当事者間に意見の一致を見ない時は本委員会の指示によつて決定するものとする。」という仲裁々定がなされたことは当事者間に争がない。

第六、裁定の効力

一、公共企業体労働関係法の規定

同法第三十五条は、「仲裁委員会の裁定に対しては当事者双方とも最終的決定としてこれに服従しなければならない。」と規定しながら、「公共企業体の予算上又は資金上不可能な資金の支出を内容とする」裁定については協定に関する同法第十六条を準用し、政府はこれに拘束せられることはないが、所定の期間内に国会に付議して、その承認を求めなければならず、「国会による承認があつたときは、……それに記載された日附にさかのぼつて効力を発するもの」とせられ、また、「国会によつて所定の行為がなされるまでは、そのような協定に基づいていかなる資金といえども支出してはならない。」とせられている。

しかしながら、協定に関する規定をそのまま仲裁委員会の裁定に準用することには疑問が存するのである。

二、裁定の性格

ほんらい、労働関係の内容の決定は、主として労使の団体交渉にゆだねられ、それがゆきづまつた場合には、労働争議によつて解決を図ることが、法の一般に容認するところであり、それゆえ争議権は労働者がその生存を維持するための重大なる権利であるといわなければならない。而して労働基本権の保障を規定する憲法第二十八条と、基本的人権に付き、公共の福祉による制約を規定する憲法第十二条、第十三条等を綜合すると、労働法(ここでは公共企業体関係法など)によつて具体的に保障せられる労働基本権は、生存権たる労働基本権と公共の福祉との均衡点に実現せられるということができるのであるが国民は、憲法第二十五条によつて、その生存権を保障せられているのであるから、公共の福祉を以つてしても、生存権の保障なくしては、労働基本権を奪い、または、制限し得ないと、いわなければならない。

公共企業体労働関係法が被申請人公社の公共的性格にかんがみ、その職員から争議権を奪うとともにその代償として仲裁―特に強制仲裁―の制度を認め、これによつて、職員の生存権を保障せんとしているのも、右に叙べた理由に基づくものである。

加うるに仲裁は、本質的には国家機関たる裁判所の公権的判断による紛争の解決に代えて、当事者の合意により仲裁人の判断に服することを約し、紛争を自主的に解決しようとする制度であるから、その判断(裁定)は裁判に準ずる効力を附与せらるべきであつて、この法理は仲裁委員会の裁定に付いても異るものではない。

このように理解するならば、公共企業体労働関係法第三十五条ないし同法第十六条も、争議権に代えて職員の生存権を保障せんとする仲裁制度の機能と裁判的性格とに適合するよう解釈せられなければならないのである。換言すれば、同法第三十五条但書は前記のように仲裁の裁定に対して重大な制約を課しているのであるが(これは被申請人公社に財政上の自主性が認められていないことに基因するものである)これによつて、仲裁制度の前記機能がそこなわれるように本条を解釈してはならないのであつて、もし、いかなる解釈によつても、仲裁制度がその機能を果し得ないとするならば、本法は明かに労働基本権ないし生存権を保障する前記憲法の諸条項に違反すると断ぜざるを得ないのである。

三、本法第三十五条、第十六条の解釈

(一)裁定と国会の承認

本法第三十五条と第十六条とを文字通り読むと仲裁委員会の裁定は予算上、資金上、可能な資金の支出を内容とするものである限り、最終的決定として当事者を拘束するが、不可能な資金の支出を内容とするものであれば、国会の承認をまつてその効力を発生する、と解せざるを得ないであろう。

しかしながら、

(1)労働関係の内容の自治的決定ということは、経営合理化のために自主性を認められた、被申請人公社の経営内部のことがらであり、従つてその自治的決定に付き、能う限り第三者の関与を排除すべきであることはいうまでもない。

(2)特に仲裁制度による労働関係の内容の決定は、さきに叙べたように、争議権に代わる生存権の保障の裁判的制度であるとすれば、その裁定の効力の発生を、国会の承認にかからしめるとすることは、理論上妥当性を欠くのみならず、仲裁制度の効果を著るしくそこなうことになるであろう。

(3)前記国会の承認は、被申請人公社が財政上の自主性を持たず、その財政が国会の管理に服していることに基づくのであつて被申請人公社内部の資金をもつてはまかない得ない資金の支出を内容とする裁定であれば、国会による承認と財政的措置がとられなければ、その裁定に基いていかなる資金も支出することができないのである。

このように理解するならば、右法条は、これを、「仲裁委員会の裁定は当事者間においては、即時法的規範たる効力を発生し公共企業体の予算上又は資金上、可能な資金の支出を内容とするものであれば、ただちに、これを履行し得べく、これに対し不可能な資金の支出を内容とするものであれば、国会による承認と財政的措置とをまつて、予算上その履行が可能となる」と解釈しなければならない。

(二)  国会の判断

このように、国会の承認は裁定の履行が予算上可能となるための要件であるがそれはひつきよう、国会が財政上の管理権をもつことによるのであるから国会は、その承認、不承認を議決するに際しては、裁定の内容の当否については判断を下し得ずもつぱら、財政上の観点から検討して、承認するか否か、を決定しなければならないと解すべきである。

(三)  予算上又は資金上支出の可能な資金

(1)「予算上又は資金上不可能な資金の支出」とは、国会の所定の行為がなければ支出が不可能な場合すなはち当該経費が被申請人公社の予算に計上せられていないか、または、予算に計上せられていても既定の費額では不足を生ずる場合であつて移用流用、予備費の使用等によつて予算上の措置を講ずることができない場合である。

けだし、被申請人公社には完全な財政上の自主性が認められていないのであるが経営内の資金をもつてまかなえる限りにおいては、その支出目的が限定せられていても相互の融通によつて事業の運営に必要な経費を支弁させることが、経営の自主性を認められた公共企業体の本質に合致するからである。

(2)而して予算の移用、流用、予備費の使用等が可能であるか否かは、予算全体を考察して、実質的にこれを判断すべく、予算の移用又は流用によつて、経営に著しい障害を与へるか、もしくは、流用せられた経費が不足となつて将来国会の行為が必要となることが明かに予見せられる場合などは流用不能と解すべく、また予備費の使用は予算において給与に充てることを禁止せざる限り、原則として可能であるというべきである。

(3)従つて支出の可能な資金とは、第一に既定予算において、予算の移用、流用または予備費の使用をまたずに支出し得るものを指すことはいうまでもない。

(4)次にその成立に争のない甲第二号証の一によれば

(A)被申請人公社の人件費は、いずれも「目」において規定せられており

(B)またその予算の実行について必要があるときは、大蔵大臣の承認を経て各項間において、その経費を移用することが許容せられている(予算総則第九条)ことが疎明せられるから、大蔵大臣の承認によつて移用又は流用し得る経費もまた支出の可能な資金であるということができる。

(5)さらに閣議の決定または大蔵大臣の決定により使用し得る予備費も支出の可能な資金である。

(6)なお右甲第二号証の一によれば、被申請人公社の会計において、その収入が予算額に比し増加したときは、「その収入の増加が事業量の増加に伴う場合において予備費の使用によつて支弁することができないときは予備費使用の例に準じて、大蔵大臣の定める基準によりその収入の一部を事業のため直接に必要とする経費に充当することができる。(予算総則第六条)と規定せられていることが疎明せられるから、この増加した収入も支出可能な資金であるというべきである。

(7)ところで右(4)(5)の予算の移用、流用もしくは、予備費の使用が実質的にみて可能であり、これによつて、仲裁裁定による債務の履行をなし得る場合に、大蔵大臣がその移用又は流用の承認を拒否し、もしくは内閣または大蔵大臣が、その使用の決定を拒否した場合は、資金の支出が不可能といえるかという問題が存する。

おもうに、予算の移用または流用に対する承認、もしくは予備費の使用に付いての決定は一般の場合には、内閣または大蔵大臣の合目的性の考慮に基づく自由裁量にゆだねられている、と解して妨げないであろう。しかしながら仲裁裁定に基づく債務の履行に関しては、別異に考えらるべきである。すなわち、

(A)被申請人公社の予算上または資金上、資金の支出が可能であるか否かということは、前記のように客観的に判断し得ることがらである。

(B)仲裁委員会による仲裁の制度は、公共の福祉のため、被申請人の職員から争議権を奪つた代償として、その労働権並びに生存権を保障するための制度として設けられたものである。ところで労働者の労働権並びに生存権の保障ということは、賃金その他の給与の改善によつて、最もよくその目的を達し得ることはいうまでもないことである。しかるに、被申請人公社の予算において、その職員の人件費は、前記のように「目」に規定せられているのであるから、給与の改善ということは原則として、追加予算の編成もしくは予算の移用、流用、または予備費の使用によらなければなし得ないのである、従つてこれらに関する内閣または大蔵大臣の決定または承認がその自由裁量にゆだねられているとするならば仲裁制度は全くその効力を滅却せしめられることとなるのであつて、かくては、生存権に対する適切な保障の制度を与えることなくその争議権を奪つたことになるのであつて、まさしく憲法に違反するといわざるを得ないのである。

このような自由裁量を許す考え方によれば被申請人公社の職員の生存権は、行政機関(内閣または大蔵大臣)の行政的裁量(経費の支出に付いての裁量)にゆだねられることになるのであるが、行政権による生存権の保障ということは、国家公務員にも認められているのである。従つて右内閣または大蔵大臣の決定または承認が自由裁量に委ねられるとするならば、一九四八年七月二十二日附連合軍最高司令官より内閣総理大臣に宛てた書簡の「他の一般公職に与えられる保護に代えて、調停、仲裁の制度を設けなければならない」との要請を全く無視するものといわざるを得ないであろう。

(C)また被申請人公社に経営の自主性を認めた趣旨に徴すればさきに述べたように余剰の資金の流用または移用を認めるということは或る意味において財政上の自主権を確立するものとして、その制度の目的に適合するということができる。

このように理解するならば、内閣または大蔵大臣の決定または承認はいわゆる法規裁量行為である。従つて予算の移流用または予備費の使用に付き内閣または大蔵大臣があくまでも決定または承認を拒否した場合に裁判所に対し承認または決定の意思表示を求めることができるか否かということは疑問の存するところであるが予算の移、流用または予備費の使用が、客観的にみて実質的に可能である限り、予算上、資金上、資金の支出が不可能とはいえず、裁定の履行は可能であるから裁判所において裁定に基づく債務の給付を命じ得ることは当然である。

(四)国会が不承認の議決をなした裁定の効力

さきに叙べたように、被申請人公社の予算上または資金上不可能な資金の支出を内容とする裁定は国会の承認を得られないときは予算上履行不可能となるのであるが後日被申請人公社の予算上または資金上(予算の移流用等により)支出が可能となることが考えられるから、たとい国会が不承認の議決をなしたとしても、裁定の性質と内容とにかんがみ後日支出が可能となつたとき、履行せられてもその目的を達し得る裁定であれば有効に存続し、然らざる限り失効すると解すべきである。

第七  本件裁定の履行の可能性

その成立及び原本の存在に争のない、甲第三号証とその成立に争のない甲第四号証の一ないし三を綜合すれば、本件仲裁に基づき、被申請人公社は、損益勘定においては、石炭費の節減により五億六千三百三十九万六千円、修繕費の繰延べにより十一億六千六百六十万四千円、工事勘定においては、人件費その他の節減により七千七百四十三万七千円合計十八億七百四十三万七千円を既定予算の流用により、支出可能の金額となし、大蔵大臣に対してその流用の承認を申請したところ、これに対し大蔵大臣は、損益勘定において十四億二千六百五十八万七千円(石炭費五億六千三百三十九万六千円、修繕費八億六千三百十九万一千円)、工事勘定においては七千八百四十一万三千円、合計十五億五百万円に付いてはその流用を承認したことが疎明せられる。

かかる場合前に説明したとおり被申請人公社に経営の自主性が与えられていることにかんがみ、反証の認められぬ本件においては、支出可能の額は、一応被申請人公社の自認した十八億七百四十三万七千円であると解するのが相当である。

しかしながら右金額を超える資金の支出が可能であることに付いては、疎明資料がない。この点に関し、申請人は、本件裁定は、昭和二十三年政令第二〇一号の規定にもかかわらず、被申請人公社の経営上の都合により、職員が不当にこうむつた待遇の切下げを是正したものであつて裁定による債務は法律に基づいて自然に発生したものであるから、その債務を消滅させるための支出は、たとい予算に計上せられていなくともこれを支出しなければならないと主張するが、裁定上の債務は、これを原因関係から切離して考察すべきでありしかるときは、予算上の措置なくして、これを支出し得ると解することはできない。

第八、本件裁定の効力

一、本件裁定に付いて国会の承認または不承認の議決があつたか否かを判断するに政府が昭和二十四年十二月十二日衆議院に対し、国会の議決を求める件として、単に裁定そのものを国会に上程したが、その後同月十九日これを訂正して、「公共企業体仲裁委員会の別紙裁定中十五億五百万円以内の支出は予算上資金上可能であると認められるのでこの限度において右裁定を実施し、残余は公共企業体労働関係法第十六条第一項に該当するので、同条第二項の規定により国会に付議する必要がある。」としてその議決を求めたこと、衆議院が同月二十一日これに対して、「公共企業体仲裁委員会の裁定中十五億五百万円の支出を除き残余については承認しない。」と議決して、これを参議院に送付したが参議院がこれに対し、同月二十三日「十五億五百万円以内の支出を除き、残余は昭和二十五年一月一日以降日本国有鉄道の予算上資金上及び独立採算上支出可能となつた時、速かにこれを支給すべきもの」と議決して、これを衆議院に回付したこと、及び衆議院が同月二十四日この参議院回付案を本会議において否決して、更に本件について、両院協議会を求めることも否決したことは当事者間に争がない。

かかる事実関係によれば衆議院の議決と、参議院の議決とが一致せず、従つて、本件裁定に付いては、国会そのものの不承認の議決が存しないのであるから、本件裁定が予算上履行不能となつたわけではなく、被申請人公社は裁定によつて負担した義務を履行するに必要な経費を予算に計上して、国会の議決を求めなければならないとも考えられるが、これはしばらく措き仮に、右の議決により、本件裁定が不承認となつたとしても、本件裁定は、その性質と内容とにかんがみ、後日被申請人公社の資金を以てまかなえるようになつたときこれを履行しても、その目的を達し得るものであるということができるから、申請人組合と被申請人公社のあいだにおいては法的規範として、有効に存続し、被申請人公社は、その予算上または資金上資金の支出が可能となりしだいこれを履行しなければならないのである。

二、かくて被申請人公社は

(1)申請人組合に対しては、前記十八億七百四十三万七千円からすでに支出済の十五億五百万円を差引いた残額三億二百四十三万七千円に付き、申請人と、その配分方法を協議決定のうえ、即時これを支払い爾余の二十六億九千二百五十六万三千円に付いては、予算上、資金上支出が可能となることを条件として、右のように配分して支払うべき義務を負い、

(2)申請人組合に対しては、本件裁定の実行義務を負う。

ということができる。

第九、仮処分の必要

証人菊川孝夫の証言によれば、被申請人公社において、すでに支出した十五億五百万円を除く爾余の裁定部分は失効したと主張して、申請人組合等職員に対してその履行を拒んでいるため、従来申請人組合の方針として来た合法闘争をあきらめて実力闘争に移るおそれのあること、昭和二十三年七月被申請人公社がその経営を開始してから、その職員は、所定の昇給も行われず、夜間勤務手当の減額、医療費の値上げ等のため一ケ月一人約千円平均の減収となり、これを補うための本件裁定による賃金を得るのでなければ、一般公務員の給与にも及ばず甚だしい窮乏の生活におちいる。

ことが疎明せられる。

第十、結論

以上の点を綜合すると、被申請人公社は、

第八、二、において述べたように

(一)申請人組合に対し

(1)予算上支出可能な三億二百四十三万七千円に付き、申請人とその配分方法を協議決定のうえ、即時これを支払い、

(2)残額二十六億九千二百五十六万三千円に付いては、支出可能となることを条件として、右のように配分して支払うべき義務を、

(二)申請人組合に対し本件裁定の実行義務を、それぞれ負担しているのであつて、被申請人公社とその職員とのあいだの労働関係の安定を図り、職員の生存権の保障を実現するとともに、非合法闘争による公共の福祉の侵害を避けるために仮の地位を定める仮処分として被申請人公社が、右に認定した義務を遵守し、履行したと同様の状態を作出する必要があるともいえるがそれには前示協議を経なければならず、加うるに本来労働関係はその基底においては信義則によつて律せらるべきものであり、且つ、被申請人公社が公共的制度であることにかんがみれば、一応は、被申請人公社の任意の履行にまつのが相当である。

よつて、本件においては、被申請人公社に対し、本件裁定の実行義務並びに前記認定の規範的効力に基づく義務を任意履行せしめる意味において、本件裁定に従うことを命じ、その余の申請は失当として、これを却下すべく、訴訟費用は、申請人の一部勝訴の場合に該当するが、被申請人をして、これを負担せしむるのが相当であるから主文の通り判決したしだいである。(昭和二五年二月二五日東京地方裁判所民事第一〇部)

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